美味礼賛の最近のブログ記事
酒は酒の味を味わうようでは外道。酒を呑む雰囲気を味わうのがよろしい。
酒を飲むのであれば、己のなかにおいて状況・場所・気分など包括的にあくまでも感覚的に捉えたものを寸分の理性で分析して飲む酒の種類・銘柄、もしあるのであれば肴のを選択せぬばならぬ。
しかるに、酒をのむときには端正でなくてはならぬ。それは見かけによるものにあらず。
つまり備えられた場でなければならない。それも見かけによるものにあらず。
人は待っていたものが来る時に気持ちの整理とはいかにつけるものだろうか。
あくまでも酒をのむときは「待ち望んだもの」であるべきで不意に訪れるものにあらず。
仮に突然の友からの誘いだとしても普段から「友と一献交わしたいものだ」と望んでいなくては。
換言すれば酒を呑みたくなるのは、酒を呑む雰囲気を呑みたいのである。
即ち、酒の味を欲するのであれば酒に呑まれているのであるし、行きたくもない酒の場に参じるのはその雰囲気や人間関係に呑まれているのである。
このような弁えのある人にとって自分で酒の味を呑みたくなるのは感覚からの挑戦である。自分で酒の味を欲して酒を飲むのであれば即ち感覚に理性が勝てないのである。才能があると世間に認められる人ならば才能に自己が勝てない人間なのである。
酒を呑む時は急くとも、せめてその周辺だけでも掃除するとよろしい。そうすることによって、その場に節操が生まれる。
酒を呑むのであれば、呑まれることはない。雰囲気にのまれる者、自分に呑まれるものが酒に呑まれるのである。
「酒を私が呑む」とはいうことは、計画・節操・希望があって初めてその意味を成す。
「酒を共にする」ということは、計画・節操・希望に加えて友情・配慮・深謀・調和がその意味を成す。
酒を共にできる友が欲しいものであるよ。
人、酒を呑むこと得れば百事為すべし。
史記列伝を数か月かけてようやく読み終わりまして次に熟読すると決めたのはブリア=サヴァランの「美味礼讃」でした。
この本は私は初めて読みます。
読むきっかけになったのはこのブログでカテゴリを設定するときに、おいしいもの話のときは「美味礼讃」にしたのです。
で、そのワードを使うからにはこの本を読まねばならぬということで買い求めました。
読んでいくと実に面白いですね。非常に学識深くて興味が多岐にわたる御仁であったのがわかります。おいしいもの本というよりも自分の広い学識を通じて美味しいものや美食家とはどうあるべきかを精査しています。
確かに科学の進歩というものは現在において書かれた1800年くらいに比べてずいぶん発展していますが著者の未来を想像する力はとても面白いものもあるし、「未来はこういったことも証明されるだろう」みたいな洞察も正確かどうかは別にして非常に興味深いです。
日本語に翻訳されているものしか私には読む能力はないのですが、かなりコミカルに描かれている部分もあって退屈しません。作家が喜劇を書くか悲劇を書くかは便通に因るとか、ブイーを食べる人は、知らないで食べてる人か小さい時に親に食わされたか。で、そういう人は自分の子供にも食べさせようとする・・とか。
名言としては「あなたの食べているもので、私はあなたがどういう人かを当てて見せよう」
「新しい星を発見するよりも新しい料理を発見するほうが人間を幸せにするものだ」
なんてものがあります。
かなり自信家であったと見えます。これはやや読み手としてはエッセーによく見られる不快感を伴うこともありますが、食通ならではのこだわり、おいしいものとはどういうものであるかを食べるという前、後のことを論理的に構築しているのはすばらしい。そういった能力を考えるとただ気分悪いというよりも一読の価値はあると思いました。



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