~だと思う。 は、弱い。

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論文を見せてもらってまず経験ないんだなあ・・レベル低いなあと思ってしまうのは

「~だと思う」という接尾。

論じているのに「~だと思う」ってのは・・じゃああたしは「いや、そうじゃない。~だ。」って言いきられた時点で、それが正論かどうかに関わらず負けなんですね。

助詞とか文末のニュアンスとか、そういうさり気ないところに思索レベルと時間のかけかたが出てしまうとわたしは思ってしまいますし、もちろんわたしの価値判断においてですが私自身外したことはないと言い切れます。

ショーペンハウエルが

「哲学は他者を相容れない文学、喧嘩する文学、詩文は他者の共感を呼ぶ文学」

というようなことを正確ではないですが書いていましたが、全くその通りだと感じます。

哲学する人が大事な意思表示をして「~だと思う」なんていうのは愚の骨頂。読書の量を質に還元させる能力に乏しいか勉強不足といわれても仕方ないと・・・"思います。"

もちろん、これを会議だのなんらかのディスカッションでやったら嫌われますわね。。嫌われても良いってほどあたしは強くないので、どこでもこのようにってのは無理です。場所わきまえて文体を使い分けてこそと、そう心がけているわけです。ハイ。

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コメント(10)

もりやま :

うちの出版物で「だと思う」って書いてあったら、
あきらかにメーカーなどへの配慮でしょうな。

でも、基本的にはアーティストの主観のレビューを
読者は読みたいわけで、
はっきりと言い切らないと、
なんの説得力もない記事になってしまう。

楽器のレビューとか、教則で教える内容とか、
いわば主観のだもんね。

ところで、「哲学」と「主観」の違いって何?
主観の先に哲学があるの?

hega :

勉強します。

hina :

あ、身に覚えが・・・
勉強させていただきます。。

ベニ :

>もりやま様
「~だと思う」っていうのは80%の主張というか、おっしゃる通り配慮という要素もあって100%の確信があるけれども20%のウヤムヤをつくるという場合もあるなあと。流石出版屋。

哲学と主観とは私は違うカテゴリーのものだと思います。哲学っていうのは信念であったりそれを超えて悟りみたいなものだったり、または思考の方法であったりと包括的な意味を持っています。主観は主観で客観ではないですよね。主観する哲学もありますが客観する哲学もあります。主観が哲学を生むわけでもないし、客観が哲学を生むわけでもないし。
また哲学という言葉に対義語はありません。
これらのことから同じものを指し示すことはあっても全く質の違う言葉なのではないでせうか。

>へがし様
いつも勉強させてもらってます。

>シナさん
あ・・昔懐かしいあの原稿云々のあれか笑

いち :

論じる ってことに慣れてないんだよね、ふつうに。

今某通信教育の添削してて、意見文の添削もあるんだけど、ある程度決まった型が教材で提示されていても、「Aってことも考えられるしBってことも考えられるから、Aを気にしつつBにしたらいいと思う。」みたいなまとめ方になる場合があるんだよね。どちらの言い分もわかる、だからはっきりさせられない、まさに「~だと思う。」調。
でも自分が中学生の時、果たして“断じて書くスタイル”が身についていたかというと限りなく「いいえ」だと思うし、結局あまりそういうことって教わってなかった気がする。
最近は論理的記述力を問うことが増えたようで、むしろ、論じる力をつけることに力を入れているなと感じるよ。
そして、自分の経験から言っても、大人になる過程でそれはものすごく有用だともね。

前は、国民性の問題かなぁと思っていたけれど、やはり、教育の結果なのではないかと思ってしまった。

ベニ :

>いち

ん~なるほどですね。実際あたくしも中学生くらいのときに文末のニュアンスとかを意識して書いてたかというとそうではないです。
ただそういった物を書く分野にある程度精通した、もしくはそういったスキルの求められるところではいかがなものかと思ったということでした。

それでもやはり教育の結果の一つというのは事実だと思います。AもBも選択できない人・・平和的に解決しようとすることで物事をよけいややこしくする勘違い・・これを独善的平和とでも呼びたいのですが、常識を貫こうとするAやBよりも・・しかもCでもないので、しかも見かけ道徳的倫理観を見かけ上の武器にするのでよっぽど攻撃的だったりします。

言ったこと、書いたことに責任をとらなくてもいいような思考・文体の持主だとこういう暴力を無意識に行ってしまっている場合があるので・・こうなると悲劇に近いですね。本人に悪気も攻撃する気もないのに、結果そうなってしまってますから。

社会問題としてのコミュニケーション能力の欠如というのは私が学生の時代から言われてますので恐らくもっと前からの根が深い問題なのでしょう。
自分が自分の言う独善的平和主義である可能性もあり、それは私じゃない人が判断することでしょうけれども、なんにしても気心しれた友人は居ても腹をわって話せる友人というのは得難いものだと痛感します。

わかぞ :

いやー。
それを書いてしまいますか。
ベニさん。
もう思い当たる節がありすぎて絶句、してしまいました。

自分に関して言えば、ほぼ「逃げ」に近いかと。
「~と思う」と言っておけば、
もしも反論が出たとしても
「ま、個人的にはね。受け取り手の皆さんにこの意見を強制はしないけどね。」
という自分の逃げ道が確保できるので。

それに関して自覚はあって、
わたしはむしろ確信犯的に「~と思う」やそれに類する文末(「~な気がする」「~と感じる」)
を使っているんですが、
暴力を無意識に行う可能性に関しては否定できない。
それはどんなに閲覧者が少数のブログであっても、
文章を書く以上無視してはならない可能性ですね。。

だからもー。
なんで書くんですかこんなこと。
日記を更新しづらいったらありゃしないです。笑

ベニ :

>わかぞ

貴女の場合は意図的に使われているわけですから。。。私も普段では同じ用法でもって言い切れる確信はあるのですが配慮のために「~だと思う」を使うことは多々あります。

ただ評論とか論客という立場で「~だと思う」ってのはどうなんかなと思いますし、そういう部分に気をつけなさいって確か大学で最初に論文提出したときに怒られたんじゃなかったっけなあとも、、記憶がうやむやですが。。

この日記の場合「どうですかみなさん?」っていう他者の目を気にすることは書いている時点ではたまにしかありません。ライブの告知など・・特例はあります。お許しを。
日記って自分宛の備忘録だと思っている側面もありますから書いている内容の裏側に「この文章をみれば、こうだったことを思い出すな」っていうまったく別の目的のために全く関係ない文章を書いていることもありますね。

話が逸れましたが、やはり本文の文末にも書きましたが場所・時をわきまえて使い分けるのが最善ということになるかと思います。また貴女は私の視点からみても最善を尽くされていてとても文書で配慮することに長けていらっしゃると思います。文書を見ると推敲を重ねられているのが常なのでは・・と推察しますが如何に。。

わかぞ :

>日記って自分宛の備忘録だと思っている側面もありますから書いている内容の裏側に「この文章をみれば、こうだったことを思い出すな」っていうまったく別の目的のために全く関係ない文章を書いていることもありますね。

これはおこがましい話ですが私もまったく同様です。
以前お話したような気がしますが。
フィルターのかかり方が似ているためか、
べにさんにはすっかり見破られていたようで。。。

>文書を見ると推敲を重ねられているのが常なのでは・・と推察しますが如何に。。

いいように推察していただけてうれしいです。
ありがとうございます。

推すか敲くか、どちらがよいか思い悩んでぶつぶつつぶやく。。。
その楽しみは確かに享受していますね。
わかぞう日記のおかげです。

ベニ :

推すか敲くか・・・。流石ですね。語源を知っていらっしゃる笑
また徒然に談笑できるときがあるといいですなあ。

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このページは、Beniが2009年6月18日 08:38に書いたブログ記事です。

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