先に

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「先に」って言葉は、意外と難解。

備えあれば憂い無し的な「先に」は、時系列的に未来に起こりうることに対応するようなニュアンスであるし、順序的な意味を持つ「先に」は、優位性を表す。

どちらにしても、あまり考えることなくこの言葉を日常使ったり心がけていたりするものであるものの立ち止まってニュートラルに考えてみると「先に」って言葉はまったくもって実利主義なものであるし、独善的である。

あくまでも「先に」する、しようと方向付ける権限をもつのは、物事の決定権者でしかない。それは自分の中においてもしかり。

たとえば自分の中で「先に~をしよう」と思うのは、自分の意志によるものであって他の人の影響・参考のようなものがあったとしてもあくまでも決定するのは自分自身。

「先に~をしなさい」と命令するのも、あくまでも命令する側の価値判断による決定であって司令される側には、その言葉の意味においては介入する余地はない。(結果、司令された側が先にするか、しないかはこの場合問題にはならない)

このような「先に」(他の言葉にも似たようなものはあるかもしれないが・・)という単語はいかにも独裁的ではあるが、その言葉の意思の強さからか、学ぶ点も多い。

自分が現在欲するものを無意識に先にして=欲しいがままにして、もしかすると存在し続けるかもしれない未来に、「先に」自分が現在欲するもの=「優先」順位が無意識に高いもの=衝動的に欲しいもの・・それを放棄してもあまりある大切なものを失うかもしれない。もしかすると、そうなるくらいなら自分が「先に」失われた方が、自分の肉をもって見る目だけを考えれば幸せかもしれない。つまりは、衝動的に欲しいと思っている自分を将来悔いる・・存在しなければ悔いることもないかもしれないけれども、、

なくなるかもしれないし、なくならないかもしれない。でも、なくなったら困る。なくならなかったら困らない。

このような非常にあいまいな状況が故に「先に」という言葉はとても強権的である。いわばリスク回避の礎であってあくまでネガティブで理性的でもある。

でも、さらに思索を深めていくと、「先に」という言葉の対象は、いつかは無くなるもの割には生きていく上で大切なもののためにある。

たとえばお金に関することであれば死んだらどんな金持ちでも、その先に持っていくことはできないし、自分自身のことに於いても肉体はいつか滅びる。自分の大切な人がいるとすれば、それもまた然り。この世の中ですべて、いま認識しうるものをぜーんぶ考えてみてもずーっとあるかもわからないし、明日あるのかも誰にも分からない。

タイムリミットは必ずある。自分自身にもあるのだが、また自分の周辺のものにもある。

自分自身が失われるよりも先に失いたくないものが失われることがあるとすれば、それは不幸であると思う。そのような状況は自分が失われるより前に見たくなかったと思うに違いない。殊更、自分より大切だと思うものがあれば。

自分より大切なものがある場合には「先に」と云う言葉は実に教訓になるし、人は選択の積み重ねで人生を紡ぐと思えばこの言葉は教師のようなものでもある。何を選択すべきか、言葉の強さゆえに自己を客観視させてくれる。

どんな薬でも毒になりうるのであるが、「先に」と云う言葉は適切に使えば薬なのだなあと思うエイプリルフールになりたての深夜だったり。

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hega :

それじゃ

お先に失礼します。

ベニ :

そう言われると「お」が「先に」につくのが、なんとも日本的ですなあ。

もりやま :

それじゃ
また後で。

「それを先にしなさい」
「それは後にしなさい」

Q:「先に」と「後で」の違いってなんでしょうか。

ベニ :

単純には同じことだと思いますが説明が必要になりますね・・。

「それを先にしなさい」と「それを後にしなさい」が同じ状況、同じ対象において云われるのであれば「それ」という代名詞はそれぞれ別のものであるはずです。同列はあり得ないですね。

ちょっと細かく見て行くと先に起こりうることが確定できないと思うから先にするんだろうということですから、

即ち、後にしなさいと云う司令は概して先にすべきことがあるので後にすべきということではないでしょうか。例えば、火事場で火を消すのよりも逃げるのを先にすべきと仮定すると、
「先に逃げなさい」というのはストレート。
「火を消すのは後にしなさい」というのは、先にすべきことがあるということですね。

「先にしなさい」と云う司令はそれだけで存在できますが、
逆に「後にしなさい」と云う司令は「先にされるもの」がないと成立できないはずです。先にされるものがハッキリしたものでなくても「他のことを先にしなさい」という意味になる筈。

先にされるものがあるから、後になるものがある。
後にされるものがあるから、先になるものがある。
この2行の文を存在というレベルでみると、あくまでも先にされるもの優位性があります。

先・後という言葉の表象だけ=記号的に考えれば、単に順番の表現でしかなく、方向の表現である左か右かのように同じことかと思います。あくまでも単語だけでなく意味されるものについての提言ですから「先に」と「後で」の違いとだけについてとなると違う議論になるのかなと思います。

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