2009年4月アーカイブ
前回ダメだった・・というか気に入らなかった青色LED。部品をよくよく調べたら青色LEDに比べたら3倍くらいのお値段しますが電球色LEDというのがありました。
早速取り寄せて入荷してきたので作業続行。寝られない夜にムクっと起きて草木も眠る時間からイソイソつくります。
基盤の回路はLEDにする場合使えませんのでひとつずつ殺していきます。彫刻等使って剥いでいく感じですね。意外とエッチングされた銅版ははがれないので力作業です。
ちゃんと施工しようということで、できるかぎり綺麗に組んで行きます。でもビニール被覆の配線は道具箱に入ってた端材つかったので微妙な・・・ですが全体的には突貫のわりになかなか良い感じに仕込みました。
LEDは電圧よりも電流がシビアなので直流流すにしても適切な抵抗を使うなどしないといけません。そこが電圧を気をつければいい電球と違って不便なところですね。。そんな不便なLEDですが定電流ダイオード使うと非常に楽です。なーんも考えないでマイナス側の終端につけるだけ。でも何アンペアのを使って何個点灯させるのかだけは考えないといけまへん。
あれ・・・電球よりもだいぶ白くないかいな・・・。。
いやーな予感。。。
光を拡散させないとスポットされてしまいますのでトレーシングペーパーをできる限りくしゃくしゃに丸めて広げたものを受け側に仕込んでおきます。これでだいぶ自然な感じになるはず・・。
しかし、、ん~これはだいぶ黄色いぞ・・・。
LEDなので20年後でもそう切れてしまうことは無いかと思います。でも麦球でも1989年製だから20年経っても切れた球は一つなんだなあ・・・。
黄色は黄色でもシブい黄色になったのでずっ意外と遠くから見るとこれも悪くないです。
ドデカホーンは背面にサブウーハーがついている、いわゆる2.1Chラジカセ。DT9はまるでコンポのような高音の抜けと低音が聞いてて楽しいですが、こちらはボワッっとまとまった音がでてきます。メインがフルレンジ1発だからでせう。サブウーハーで低音を鳴らすので、その感じも独特ですね。反射音で背面壁際にラジカセ置くと激しい感じになります。良し悪しは背面の材料によりますけれども・・。
どちらもいい音ですが、ぜんぜんキャラクターがちがいます。ってことはどっちも手放せない・・・。。
じつはあともう一つ欲しいラジカセあるんだよなあ・・・。
先日はパナソニックのDT9を奇跡的に手に入れることができたですが、なんとまたしばらく探していたドデカホーンの最高傑作CFD-900もゲットすることができました。これはなんちゃらオークションです。
状態はなかなか良いです。リモコンもちゃんとあります。
表示窓のバックライトが麦球なのでこの手のものだと切れてしまっているのが結構ありますが、これも一つ切れちゃってました。右下なので目立たないですが、でも気になる・・・・。
ざっと分解して中開けるとこんな感じです。イカ釣り漁船みたいです。
ドンズバの麦球はいまとなっては入手するのが難しい。。流れてる電圧調べると7V程度でした。周辺をひたすらテスターで探すと12Vが流れている部分がありました。ってことはこの際LED化してしまおうと思います。久々に使うの楽しみ定電流ダイオード!!
テキトウに回路作ってつけてみました。・・が青いLEDしか持っておらず液晶表示させてみたんですが、どうもデフォルトのオレンジ色の威圧感が懐かしくなってしまうのと、ドデカに対するリスペクトが私の中で失われてしまう感じがしてやめました。。
また今度部品調達してトライし直します。。
「先に」って言葉は、意外と難解。
備えあれば憂い無し的な「先に」は、時系列的に未来に起こりうることに対応するようなニュアンスであるし、順序的な意味を持つ「先に」は、優位性を表す。
どちらにしても、あまり考えることなくこの言葉を日常使ったり心がけていたりするものであるものの立ち止まってニュートラルに考えてみると「先に」って言葉はまったくもって実利主義なものであるし、独善的である。
あくまでも「先に」する、しようと方向付ける権限をもつのは、物事の決定権者でしかない。それは自分の中においてもしかり。
たとえば自分の中で「先に~をしよう」と思うのは、自分の意志によるものであって他の人の影響・参考のようなものがあったとしてもあくまでも決定するのは自分自身。
「先に~をしなさい」と命令するのも、あくまでも命令する側の価値判断による決定であって司令される側には、その言葉の意味においては介入する余地はない。(結果、司令された側が先にするか、しないかはこの場合問題にはならない)
このような「先に」(他の言葉にも似たようなものはあるかもしれないが・・)という単語はいかにも独裁的ではあるが、その言葉の意思の強さからか、学ぶ点も多い。
自分が現在欲するものを無意識に先にして=欲しいがままにして、もしかすると存在し続けるかもしれない未来に、「先に」自分が現在欲するもの=「優先」順位が無意識に高いもの=衝動的に欲しいもの・・それを放棄してもあまりある大切なものを失うかもしれない。もしかすると、そうなるくらいなら自分が「先に」失われた方が、自分の肉をもって見る目だけを考えれば幸せかもしれない。つまりは、衝動的に欲しいと思っている自分を将来悔いる・・存在しなければ悔いることもないかもしれないけれども、、
なくなるかもしれないし、なくならないかもしれない。でも、なくなったら困る。なくならなかったら困らない。
このような非常にあいまいな状況が故に「先に」という言葉はとても強権的である。いわばリスク回避の礎であってあくまでネガティブで理性的でもある。
でも、さらに思索を深めていくと、「先に」という言葉の対象は、いつかは無くなるもの割には生きていく上で大切なもののためにある。
たとえばお金に関することであれば死んだらどんな金持ちでも、その先に持っていくことはできないし、自分自身のことに於いても肉体はいつか滅びる。自分の大切な人がいるとすれば、それもまた然り。この世の中ですべて、いま認識しうるものをぜーんぶ考えてみてもずーっとあるかもわからないし、明日あるのかも誰にも分からない。
タイムリミットは必ずある。自分自身にもあるのだが、また自分の周辺のものにもある。
自分自身が失われるよりも先に失いたくないものが失われることがあるとすれば、それは不幸であると思う。そのような状況は自分が失われるより前に見たくなかったと思うに違いない。殊更、自分より大切だと思うものがあれば。
自分より大切なものがある場合には「先に」と云う言葉は実に教訓になるし、人は選択の積み重ねで人生を紡ぐと思えばこの言葉は教師のようなものでもある。何を選択すべきか、言葉の強さゆえに自己を客観視させてくれる。
どんな薬でも毒になりうるのであるが、「先に」と云う言葉は適切に使えば薬なのだなあと思うエイプリルフールになりたての深夜だったり。



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